前もって話を聞いていたのはどうやら局長である近藤さんだけだったらしく、さも当たり前のように連れてきた、俺たちと同じ隊服を身に纏い腰に身の丈ほどもあるのではないかと思う刀を差し、彼女はきりりとした凛々しい笑みを浮かべながらにこやかに、ただにこやかにそこに佇んでいた。 真選組隊内から攘夷派と繋がりがあった伊東の後釜、とでも言うべきか、あの事件の2ヶ月後に彼女、はこの真選組の隊服を身に纏う事になった。 松平公よりのお墨付きはもちろんの事、女ながらに北辰一刀流の免許皆伝を持ち、それこそ政治面にも多数の人脈を持ち合わせているとの事だ。なんだってまぁこんな奴が真選組の参謀なんてモンを引き受けたのか、もっと他にそれを生かす場所もあっただろうに、とそんな思考が頭を過ぎった。 突然現れた新しい参謀は、前の参謀とは違いそのほとんどの時間を屯所で過ごした。 見た目こそ確かにきつそうで気難しそうに見えるが、他の隊士や近藤さんの話を聞いて見れば見た目とは違い気さくで話しやすい人間なのだということが伺えた。初見でほんの数分しか言葉を交わさなかった俺にはわからないことだったが、あの総悟でさえ大人しく懐いているというのだから驚きだ。 けれども俺は、前の参謀との確執が大きなシコリのように胸の中に残っていたのか、なかなか話をする機会を設けてはこなかった。近寄りがたかったのだ。なんとなく。 そんな壁を作り続けてきたが、それもいつしか破られる時はくる。 それは彼女が隊服を身につけ、屯所へやってくるようになってからほとんど一ヵ月経ってからの事だった。 書類が溜まりに溜まり、眠れない夜を過ごしたその次の日、誰かに言われて俺の自室の向こうに、の声があった。 「もう起きていますか?」 正直、眠っていたがその声の主が誰なのか頭ではっきりと認識してしまった俺はまるで飛び起きるが如く、肩までかぶせていた布団を引き剥がした。 「あー…、あぁ、」 寝起き独特の掠れた声を必死に噛み殺していつもの声音を搾り出す。 そうこうしているうちにが特に気にすることも無く「あけますよ?」一応の断りを入れて閉ざされた襖を開いて顔をのぞかせた。咄嗟に衣服の乱れだとかを気にすることができた俺はとても万能だと思った。 今しがた布団を引き剥がし、衣服を整えた俺がさっきまで眠っていたという事実はあまりにも明確すぎる。はそんな俺をみて1つ笑みをこぼすと「局長の読みは当たっていました」と笑って見せた。 ぼんやりとする頭を抱え、クスクスと笑うのその姿はえらく新鮮味に満ち溢れていた。元々男所帯のところに女が1人やってきたのだ、それは新鮮な気持ちになるのだろう。おそらく周りの連中はこの感覚を早くから味わっていたに違いない。俺だけが、1人この感覚を味わうことなく過ごしてきたのだ。彼女に背負わされた「参謀」という肩書きの所為で。 無意識のうちにバツが悪くなっていたのか、俺はから視線を逸らした。 「今日は部会だったんですよ」 言われて俺は眉間に皺を寄せ、逸らしたはずの視線をまたすぐにへ戻した。 「今日、何日だ?」 「19日です」 「……冗談だろ、それ」 言われて俺は項垂れた。 は絶やさず笑みを浮かべたままだった。 「心配しないで下さい、先方へは副長は内務整理で多忙につき欠席 と伝えてありますし、会には私の顔見せも含めて私と局長とで、出席してきました」 もっとも、局長をフォローできるのは副長だけだと思いましたが、 そう付け加えては今度は困ったような素振りで笑みを見せた。 それを聞き、なんとなくではあるが何があったのか予想がついてしまった俺は思わずため息を吐いた。 「…当たり前だ、何年一緒にやってきたと思ってるんだ」 口から出た言葉に対して隣に佇むの空気が変わったのをすぐに肌で感じ取ってしまった。 数秒後、俺はようやく、しまった、と思ったのだ。 沈黙が2人を包み込む。 その前に俺が「なぁ、」と彼女にまるで問いかけるよう、口にしていた。 口を噤んだままのをいいことに俺はそのまま続きを口にする。 「ずっと不思議だったんだが、アンタなんでここに来たんだ」 え、と短く声を漏らしたがいたが、そんなものは耳に聞こえていない素振りで俺は続けた。 「アンタみたいに、能力もあって、腕も立って、人脈もあるような人間が、どうしてこんな男しかいねーむさくるしい血の気の多い、面倒ごとを押し付けられるような集団の所へ来たんだよ」 しんと静まりきった室内に、俺の声はやけに低く、そして響いた。 1秒1秒がやけに長く感じられる。こういった空間は俺が最も苦手とるす部類のものだ。 視界の端に映るの両足。見れば俺たちと同じ隊服を身につけて、俺たちと同じように腰に刀を差して、そうして俺たちと同じように振舞う。大きな違和感はなかったが、確かにそこにはある違和感を俺はまだ拭いきれてはいないのだ。何人も同じ隊服を着た人間がこの世からいなくなってしまう現場に立ち会っていたのに、だ。 「なんで、なんでしょうかね?」 その的を得ていない返答に俺は思わずを見てしまう。 「自分でもよく分からないんです」 言うとはまた困ったように笑って見せた。そんな姿を俺はじっと見つめて、おそらくこれから続くであろうの言葉をじっと待つ。 「…初めにこのお話を頂いた時は正直、驚きました。真選組の参謀だなんて、私には荷が重すぎるって。でも、松平公も思い立ったら一直線じゃないですか、話がトントン拍子に決まってしまって…」 こういうとき、話ってまとまりやすいんですよね、不思議と。 言っては後ろ手に開け放していた襖を閉めると、畳の上に静かに正座をした。 目線がようやく合った。 少しだけ茶を帯びた双眸が静かに細められる。 「私も、始まりは何もない道場の娘で、そこからまぁいろいろ紆余曲折あって、今はこうして落ち着いているわけなんですけど」 「そういうところって、こんな言い方したら失礼になるのかもしれないですけど、似てるのかなって、思ったんですよね」 似てる。 その一言を耳にして俺は視線だけをへと引き戻した。 確かに、俺たちも始まりは何の取り得もない、武州にある道場から始まったのだ。それが不思議な事に、今はこんな肩書きを背負いながら腐りかけの幕府の為に奪われたはずの刀を振るい続けている。 「だから、いろんなことがあると思うんです。実際に、いろんなことがあって私がここに来ることになっている現実もあります。うまく言葉が見つからないんですけど…」 そう言っては、とにかく、とまた言葉を進める 「私がここで生き抜き為に築き上げてきたものが、少しでも似た境遇をもった方々の役に立つなら、と思って、たぶんこの話を引き受けたんだと思うんですね」 あまりにも曖昧な回答で、俺は思わず「随分曖昧だな、」と笑い声交じりに口にしてしまった。 するとも困ったように笑いながら「だから初めに自分でもよく分からないって言ったじゃないですか」と悪びれた様子もなく答えてみせる。 「でもあなた方お2人のお力添えができれば、と思っていることだけは、信じてもらって構いませんから」 裏切りはつき物だと思っていた。 先の伊東の件だってその範疇だったと思う。いや、そう思いたいんだと思う。 信頼する事は危険が伴い、一歩間違えれば命を奪われかねない行為の1つだと、刀を振るっていくうちに覚えていった。もその内の1人なのだろうか。そこまでは分からない。 枕元にあった煙草を手に取り、火をつけ、肺が一杯になるまで深く吸い込む。 「…まぁ、よろしくたのまァ」 そんな俺が今のに言える、最大級の信頼の証。 それに答えるよう、も目を伏せて「こちらこそ、よろしくお願いします」と静かに言った。 |