自分が知りたくない真意というものは、心のとても奥深くに眠っているもので、知りたくないから隠してきた部分を目の当たりにすると俺はというととてもとてもそこには触れて欲しくないので、だからその元凶にあたる人とは会いたくなかったりするのだ。 「銀さーん、おっはよー」 けれどもその元凶にあたる女はそんな事はまったく知りもせず、今日も俺の顔を見にやってくる。 糖分という手土産を持って、だ。 「…はよーさん」 「うわテンション低っ!」 「うっせー、頭に響くんだよ…オメーとは違ってなぁ銀さんは繊細なんだよ、見て分かんねーのかよ、この俺の、今の状態を」 「…花粉症?」 口元を覆うようマスクをし、ソファの上に寝転がっていた俺のこの姿は具合が悪いとは受け止められず、彼女の、の中では俺が一時のアレルギー症状になってしまった、止まりだったようだ。 俺はなんだってこんな女なんだ、と心の中で毒づいた。 「花粉症でこんなにだるそうにしてるとか、あんま聞かねぇだろ、」 「銀さん、いつもダルそうだから」 「…あー、そう。そうですかぁ…」 言って身体を起こすとが小首をかしげたのが目に入った。んな仕草したってかわいいとか思わねぇかんな、俺は。 「具合悪そう」 「最大級に悪いよ」 だから、今日は帰ってくれや そう言おうとしたが俺の視界の端に見えていたはずのの姿が無かった。 どこへ行ったんだと思ったら台所から顔を出した。大方手土産に持ってきた糖分という魔性の食べ物を冷蔵庫の中へしまいこんだのだろう。の姿を目に入れたとき、喉を吐くように咳が出てその場にしばらく俺はむせこんでしまった。その間にまたはどこかに姿を消し、咳が止み、深呼吸をしているともと居た場所には急ぐことも無く戻ってきていた。 「こんなとこに横になってると、もっと具合悪くなるから布団に戻りな?」 「…駄目だ、今日は依頼人と会って話さなきゃなんねーから」 差し出された手を取ることもなく俺は彼女の要求を跳ね除けた。けれどもは「じゃ私が話を聞いておくから」と素っ頓狂なことを言い出した。朦朧とし始めた頭ではが何を言っているのか分からなかったからの顔を覗き込むと「だから、私がその依頼人と話しするから、銀さんは休んでて」と相変わらず素っ頓狂なことを言ってのけた。俺から出たのはため息だった。それを了解と受け取ったのかは俺の腕を引っ張り上げて、立たせようとするが、にそこまでの腕力や力があるわけでもなく、仕方なしに俺は立ち上がりの要求を呑むことにした。こんなことがなければ、表立って彼女に甘えることができない、と心の奥底で感じ取っていたからだ。 「何時にくるの?その人」 「11時っつってた」 半ば倒れこむよう、布団に寝転ぶとが布団をかけて、「分かった」と一言呟いたのが聞こえた。 「そういや新八君と神楽ちゃんは?」 「…うるせーから外行かした」 「……そっか、」 「話、聞くだけで、いいから」 「分かってるよ。聞くだけ聞いて、銀さん体調不良だからって伝えて後日こっちから連絡するように伝えるから」ちょうど俺の肩までに布団をかけて枕のひんやりとした感覚が気持ちよかった。 俺の意識というものは本当に気を抜いてしまえばすんなりと途絶えてしまうところだったが横に座り込んだが気になってそれすらもできない。なんだ、休ませてくれないのか、そう口にしようとも思ったが止めた。そこまで俺は意地悪な男になったつもりはない。だからの視線から逃れるよう彼女に背を向けて「あと、頼まァ」そう言って意識を手放そうと、そう決めた。 その後に小さく彼女が「うん」と呟いた事すら、すでに俺には届いてはいなかった。 それからしばらくして俺の意識は再び現実までもどってきた。 寝室に掲げた時計はすでに2時を回っていた。 頭はやはり朦朧とする。ただ眠っていた分、その分気分は晴れている気がした。 そうしてふと午前中の事を思い出し身体を起こして居間にいるであろうの所へ向かうことにした。 「あ、」 先に気がついたのはだった。 「…お世話様」 掠れた声だった。喉が痛い。けれどすべて寝起きの所為にして片付けた。 俺のテーブルの上に放っておいたジャンプを読みながら、視線だけをこちらへよこした。 「具合は?」 「あんまよくねぇな」 あんまり、どころの話ではなかった。 頭がガンガン痛いし節々も痛い。喉も痛いし、もうこれは完璧な風邪だとようやく俺の頭が認識し始めた。 「お客さん、また今度連絡くださいって」 そう言ってテーブルの上にあるメモ紙を目で指差してきた。 「急ぎじゃないからって」 言いながらは読んでいたジャンプを閉じてその膝の上に置いた。 「だから私詳しい話も聞けてないんだ」 ごめんね、 そうは力なく呟いた。 何も謝る程の事じゃない、そう直感的に思った。 「別に、が悪いわけじゃねーだろ、」 だから謝る事はない。 そう、きちんと口にしたつもりだった。けれど意識が朦朧としていて頭がきちんと働かない俺は、自分が今何を言っているのかもよく分からない。それをあらわすかのようにソファに座ったがすぐに体勢が崩れてそのまま横になってしまった。身体も支える事ができないほど具合が悪いのか。ここ数年本格的な風邪なんて引いていなかったから免疫がなくなったのか。それとも、今この場にいるのがと俺の2人だから、俺はに甘えたいのか。 …答えなんてどうでもよかった。この際、この風邪すらも精一杯利用してやろうと思った。案外俺は丈夫にできているものだ。 ぐったりとした俺を見かねてが立ち上がり、今朝繰り返した押し問答をまた初めから繰り返し、結局俺はまた寝室へと引きずられるようにして引き戻されまだ暖かさが残る布団の中へ戻ってきた。 「何か食べられそう?」 「…あんま食欲ない」 「でも薬飲まないと」 「家に薬なんてねぇんだからいい」 「買ってきたから、飲んで。今おかゆ温めなおすから」 言ってはまた視界の端に消えてしまった。 なんだか不思議な気分だった。 なんでがここに来たのか、どうしてそれが今日でなければならなかったのか。 これが運命というものなのか、ぼんやりとした頭はそんな陳腐な事を考え始めた。 しばらくすると台所からいいにおいがしてくる。 鼻の頭をかすめ直接頭へ流れ込んでくるそれは、空腹というものを全く感じなかった俺に少しだけ空腹というものを思い出させてくれる。相変わらず天井は静かだった。 「お待たせ」 お盆に先ほどつくったであろうお粥を乗せは寝室の襖を跨いだ。 俺は上体を起こし口元にあったマスクをずり下げた。 「悪ぃな」 「いえいえ、これぐらいは私にだってできますよ」 言っては笑ってみせた。 「自分で食べれる?」 悪戯っぽく笑う彼女を鼻で笑い、「そこまで俺ァ老けこんじゃねーよ」と笑って見せた。 用意したお盆のまま膝の上に置き、いただきます、と言って熱々を口の中へ入れた。 薄味なのは俺が熱を上げているからだろうか、それともの味付けがこうなのか、今俺には分からなかった。 「銀さんが作ったのがおいしいかもだけどね」 そう言っては足を崩した。 「んなことねぇよ」 その次の台詞は喉まで出掛かっていた。なのになぜか出てこなかった。 なぜだろう、決して今食べているものが俺の口に合わないだとかそんな事は全く無かった。むしろ俺にはちょうどよい味付けだったのだ。だから自然と、おいしいと声をかけてあげられればよかったのだが、なぜだかそれがうまくいかない。おかしい。 「…おいしいよ、」 おかしい、と思って口にしたその一言は自分でも驚く程、顔から火が出そうな勢いで気恥ずかしかった。 けれどもは微笑みながら「よかった」とそうたった一言だけ、呟くよう残した。 しばらく俺は無心に食べることに専念した。そうして気が付けば、土鍋に用意されていたおかゆを全て平らげていた。久しぶりに食べた所為か、満腹感が襲ってくる。 そのままは準備をしていたのか、自ら買ってきた風邪薬と水を俺に差し出した。 錠剤を飲み、一気に水を飲み干す。 「ごちそうさまでした」 「はい、お粗末さまでした」 膝の上に置いてあったお盆を下げると言ってはまた台所へ戻っていった。 その後におきだそうかと思ったが、それを見つけたに横になるよう言いつけられて俺はすぐに元の巣に戻っていった。目の前には何も言わない天井が広がっている。 遠くで聞こえる水の流れる音。不思議な感じがした。 何がどう不思議かと言えば言葉にできない部分が大きい。 なぜ今日に限ってがきてこうして俺の看病をするまでに至ったのか。 彼女でなくて、他の人間にそれが成し得たのだろうかとぼんやりと考える。 答えはすぐに分かった。 遠くで聞こえる水音。が何かを言ったのが聞こえたが、俺はそれに耳を傾けるどころか、布団の中で身体を丸めて、そう、必死に顔に集まる熱を見られないように、ただ必死だったのだ。 |