そんな記憶を消し去ってしまいたい飲み会からほとんど2週間後、たまたまがここへやってきた時のあの俺の気まずさといったら、人生至上最大級のものだった。
出迎えるのは新八の役目だったがこのときばかりは俺も玄関先まで出向いてしまった。
自分の中にある後ろめたさを振り払うためだ。そして挨拶もそこそこにとは反対に俺はいったん家を出た。理由は、コンビニに行ってくるというなんとも幼稚な理由だったがは「アイスね」と背中越しに声をかけた。
俺は怪訝な顔をして振り返り、ようやくの顔をまともに見た。何も変わったことはない。変わったことといえば俺の心境だけだろう。
「…ガリガリくんな」
そう言って玄関を出た。

外は暑い。
が、今日は昨日に比べれば涼しいと思う。原付に乗るわけでもなくふらふらと近くのコンビニまで足を伸ばす。この炎天下の中、は家にやってくるのかと思うと哀れに思えてくる。
涼しい店内に入り何を買うわけでもなく言われた通りにアイスを人数分買ってレジへ向かった。
店員の手つきを見ながらふと見上げた壁には、近くの河川敷で行われる花火大会のポスターが張ってあった。夏といえば花火。そうだ、そんな季節なんだなぁとぼんやり考えてまた俺はサウナのようにじめじめする外へと歩き出した。

家に戻りすっかり家に落ち着いたと新八が見える位置にごとんと買ってきた袋を無造作に置いた。
は目を丸くして「どうしたの?」と聞いてきた。
俺が感じていた気まずさがにも伝わったのかと一瞬ドキリとした。
そのドキリとした瞬間すらも彼女に伝わってしまったのか、「あーなるほどねぇ」と彼女は何かを感じとったようにあやしげな笑みを浮かべる。
「気にしなくてもいいのに」
そして困ったように笑うと新八が今度は不思議そうな顔をする。
「確かに、重かったけど」
「あーあー聞きたくないー聞きたくないー」
「階段上ってるとき死ぬかと思ったけど」
「あーあーもー」
新八が俺との顔を見比べながら困惑の色を強めていく。
「鍵ちょうだいって言ってるのに鍵くれなかったり、」
「あーあー」
「玄関開けたらすぐ倒れこんだり」
「もーあー」
「靴脱がしてるのに、靴履いたまま玄関上がりこむし」
「うるせぇぇそれ以上人の古傷えぐるんじゃねぇよ」
そう勢いよく言ってやると、が悪戯っぽい笑みを浮かべながら笑い出した。
「覚えてねーんだって、マジで!」
間に挟まれたままの新八はどことなく空気を読んだのか、あきれた顔をして俺を見ていた。
「んだよ、新八、なんだよその人を哀れむような目はぁ」
「いや、なんか、ねぇ?」
そう言ってに同意を求め、彼女も彼女で「ねぇ?」と目を細め俺をみやる。
「だーかーらー覚えてねぇの!俺はぁ!無意識なの無意識!ったくよぉなんなんだよ、お前ら…」
力つきた俺はその場にしゃがみこんだ。頭を垂れて、力なく髪の毛の間に指を絡める。
ちくしょう、なんだってんだ、一体…
一人毒づいた時、ちょうど頭の上でシャリシャリとビニール袋が揺れる音が聞こえた。
その音につられるよう、俺はちらりと上を覗き見るとが袋の中に入っていたアイスを一本取り出して俺に向けて差し出していた。
「まーまー旦那。これでも食べて少し落ち着きなさいよ。そんな失敗の1つや2つ誰しも経験しますって」
差し出されたアイスを受け取り、じっとを見つめる。
「…これ俺が買ってきたんですけど…」


そんな俺の失敗談儀はしばらく続き俺はしばらくの間いじられっぱなしだった。
けれども5時を回った頃、バタバタと忙しない足音と、豪快な玄関の開放音にその場にいた全員の視線が一気に玄関へ注がれた。俺はなんとなく誰が帰ってきたか分かっていたので呆れたように、来るであろう嵐に備えていた。
「銀ちゃん銀ちゃん!」
その忙しない嵐は口早に俺の名前を呼びバタバタと居間へ入り込んできた。
「おめー玄関閉めろって暑いだろうが」
「大変ネ!」
「大変なのはオメーの頭だっていつも言ってるだろーか」
そうしてあたりをさっと見回した神楽はの存在に気がついたのか「!」と指をさして名前を呼んだ。
よほどの混乱が彼女を取り込んでいるんだろうな、と俺はぼんやり考えた。
そしてそのあとに静かな声だが聞いたことのある声が玄関先から聞こえた。
「もぅ神楽ちゃん、そんなに慌てたら転んで怪我しちゃうわよ」
その声に一番最初に反応したのは新八だった。
「姉上?」
そしてその姉上という単語に一番過敏に反応したのは言うまでもない、だった。
「銀ちゃん!今日は空がばーんってなってどひゅーってなってばーん!ってなる日ヨ!」
「あ?なんだって?」
「だから、空がばーんってなってど」
「あーもーちゃんとした日本語で話してくれない?解読不能だよそんな擬音語」
神楽の説明を割って入った俺のあとに静かな足音と共にやってきたお妙が微笑みながら神楽の方に手を置いて
「花火ですよ」
そう告げた。
その場にいた全員が「あぁ、」と声を漏らした。
「あの毎年やっている河川敷のやつですか?」
「えぇ、去年は雨で中止になってしまったけど、今年はちゃんとあげるみたい」
俺はさっき行ったコンビニに張ってあったポスターのことを思い出した。
日にちまではちゃんと確認はしてこなかったから、まさか今日だとは思いもしていなかった。
そういえば神楽がここに住むようになってから花火なんてのは見に行ったことがなかった。去年もあったんだろうが、雨で中止になったということになれば、つまり神楽にとってみれば今年がはじめての花火ということになるのだ。
「せっかくだからみんなで行きましょうよ」
隣ではキラキラと目を光らせる神楽と、俺の隣では「いいですね」と乗り気な新八。
目の前のはパチパチと動かし事の成り行きを見守っていた。
そして俺は、パス。と口にしようとした時、お妙がの存在に気がついたのか、「こちらの方は?」と俺に視線を投げてよこす。
「あー…ほらこの間、タルト置いていった、」
ですっ」
そう目の前から焦ったようにの声が聞こえた。
それを聞いたお妙はあぁ、と分かったような顔になり、「あの時はごちそうさまでした」と軽く頭を下げた。
もそれにつられて、「いえいえ」といいながら頭を下げた。

「よかったらさんも一緒にどうですか?」
そうお妙に言われては考えるようにそうですねぇと珍しく返答を濁した。
それを聞いてすかさず神楽が「行くネ!」と目を輝かせながらに言うと続けて「私ゆかた着て行くからもゆかた着て行こう」と畳み掛けるように告げた。
困ったように笑うを見て俺はとうとうパスの一言を口にできた。
隣にいた新八が怪訝な顔をして眼鏡をあげた
「ノリ悪いですよ、空気読んで下さいよ…」
「いやだってよー人ごみだろぉ?俺の天敵だっつの。それに暑いし。完全に蒸発するわ俺」
「駄目ヨ、銀ちゃんももアネゴも新八もみんなでゆかた着て行くネ!」
そうまくし立てる神楽をみてにこりと微笑み、俺に向き直る。
「せっかくだし一緒に行きましょうよ、こんなことでもないと花火なんて見る機会なんてないんですから」
「そーですよ、行きましょうよ、行ったらなんだかんだで楽しいもんですって」
この志村家の押し方といったらいつも強引だと思っていたが今日ばかりはとても強引に感じられる。
それでも俺も頑固な体質であることは変わりがないので、えーっと頭を抱えてしまった。
すると目の前にいたが息を呑んだのがかすかに伝わり、俺は横目でを見やった。

「駄目だよ、銀さんも一緒に来ないと」
「…え?」
俺は思わず身体を乗り出してしまった。
さっきまで確実には俺と同じで祭りには行きたくない派だったはずなのだ。あの考え込んだ顔つきからして、それからあの神楽のあしらい方からにしても、こいつは、こいつだけは俺と同じ位置にいたはずの人間だと思っていたがまさかの行こう発言で俺は目をぱちくりさせた。
「花火なんて夏にしか見れないんだよ」
「いや、そうだけど」
「じゃ、行こうよ」
の大概に頑固なやつなのだ。
一人行きたくない派の俺はあたりを見回す。けれどもそこにあるのは期待の視線のみ。
誰も俺と同じ位置には立ってくれないってわけだ。
「あー…もー…しょーがねぇなぁ」
折れるしかないと思った俺は片手で顔を覆って、行くことを了承した。

それから話はトントン拍子に進み、なんでもせっかくいくのだから浴衣を着て行きたいという神楽の希望をそのまま飲むつもりらしい。花火が始まるのはどうやら7時30分から。
「新ちゃんのは家にあるし、神楽ちゃんのは私が小さい頃着ていた浴衣で間に合うと思うけど…」
お妙はと俺に視線を配り、考え込んだ顔つきになる。
おそらくに貸すことのできる浴衣と俺に着せる浴衣の事を考えているに違いない。
だから俺は別にこのまんまの格好で構わないと、そう口にしようとした時、また思いもよらぬの声が耳に入ってきた。
「私なら家に戻れば浴衣持ってますし、あと銀さんの分もあると思います」
「あら、そうなんですか?」
「ここから駅二つしか離れてないので、一回戻って持ってきますよ」
そうが言うもんだから俺はとっさに時計を確認した。時刻は6時手前。
そこまでして浴衣は着なくていいといおうとしたが、お妙のあの射抜くようなものを一切言わせない視線を浴びてしまって俺は動けなくなった。
「そんなに時間はかからないし、今から戻れば十分間に合いますから」
はだらしなく笑いながらそう告げて、お妙はそれにご足労かけてしまってごめんなさい。と謝ってみせた。そうしてはさっそくといわんばかりに立ち上がり一度自宅へ帰ると言い出した。それに合わせるようにその場にいた俺以外の人間が一斉に着替えに行くため、志村家へ移動するといい始めた。
俺は玄関まで彼らを見送る為に出向き、そこで待ち合わせ場所と時間を確認して別れていくと新八達の背中を見守っていた。少し外へ出ただけなのに、じっとりとした夏独特の湿気が身体を包む。
夜が来て、気温が下がることだけを祈った。



082008