そうしては30分もしない内にまた家にやってきた。 少し大きめの袋を手に下げて、いそいそと居間へやってくる。 「ごめんね、遅くなって」 そして袋の中をごそごそと探り、一着の浴衣を俺に手渡した。 本当に男物だ、そう俺は顔に出ないよう必死に心を隠す。 どうしてのところにこんなものがあるのかだとか、これが一体誰のものだったのかだとか、本当は聞きたかったが、できなかった。受け取ってからしばらくの間立ち尽くしていた俺を見ては心配そうな顔つきになった。 「やっぱ、におう?」 「におう?」 「それずっとタンスに入れっぱなしで…一応、ファブリーズはしてきたけど…」 「ファブってんのかよ、これ」 「でも穴とか開いてなかったから、大丈夫でしょ」 「つーか、なにもここまで用意しなくたって花火見れるだろうが」 「駄目だなぁ。こういう行事は形から入らないと駄目なんですよ」 そして、俺の背中を押すとそのまま寝室として使っている和室まで押し込まれ、「はい、時間ないから着替えて」 そう笑いながらは告げた。ゆっくりとしまる襖を見つめながら、俺はひとつため息を漏らす。 来ていた着流しをばさりと脱ぎ捨て、インナーに手をかけそのまま上半身だけ裸になった。 そうして渡された着物を広げ袖を通す。 が気にしていたタンスのにおいは確かにあったが気になるほどのものでもなかった。 身に着けた感じ、小さいだとか大きすぎるといった違和感はなかった。 つまりは俺とほとんど変わらない身長と体格の男がこれを着ていたことになる。 どんな経緯でその俺の知らない男が着ていた浴衣がの手元にあって、この男とがいったいどんな関係だったのかだなんてのも、もちろん俺は知らないわけで。まさか親父ってオチでもねぇだろうし…兄弟だっているって話を聞いたことがない。そうなってくると、もうその可能性はとても大きなものになる。 そこまで考えて俺は最高に複雑な気持ちになった。 前を合わせるでもなくしばらくそこに立ち尽くし頭の中に入ってくる妙な考えを振り払おうと必死になった。 「着替えたぁ?」 襖ごしに聞こえたの声にびくりと肩を震わせたのはそのすぐあとのことだ。 「あ、あーこれ、あれ、帯!帯わっかんねーよ」 「帯?結べない?」 急にわたわたと帯を腰に巻いてあたかも結び方がわからないといった素振りを見せた。いや、実際の所、浴衣だとかそういった類の衣類をあまり身につけないので、本当に分からない節があるのは確かだった。 背後の襖がすっと少しだけ開いた。 「入っても平気?」 背中越しに振り返った先には遠慮がちにこちらを見ているがいる。 「おう」 そう返事をして彼女を招き入れる。 やってきたはさっきまで身に着けていた淡い朱色の着物ではなく、藍色の浴衣を身にまとっていた。俺が考え込んでいる間に着替えたのだろうか、早業である。 俺の前に回りこみ浴衣の前を両手で押さえ悪戦苦闘している俺をみてはくすりと笑う。 「…本当に、同じぐらいなんだね」 そう言ったの瞳が一瞬、寂しそうに映ったのは俺の錯覚か。 そしてすぐに立ち膝になり、「腕回すよ、」そう言っての腕が両脇から伸ばされる。 慣れた手つきで帯を掴み、腰へ回しながらきつく結ぶ。そうして俺に後ろを向けと指示し、そこからは俺は見ることができなかったが時々腹が締め付けられるようになるので、俺は思わず「ちょ、きついって」と声を漏らす。 「てか銀さん、下はいたまんまでしょ?」 「そーです」 脱げといわれるのはなんだか忍びない気がして、がそう口にする前にズボンを脱いだ。ストンとその場に落ちただけで、帯を結ぶの手が止まるわけがなかった。 そうして一際つよく締め付けられると、が俺の尻を叩いて「終わり!」そう口にした。 立ち上がり俺の正面にくると、笑顔をつくりながら「似合うね」そう告げた。 「そりゃ、どーも」 そう答えることが精一杯だった。 気恥ずかしいっていうこともあったが、その似合うという言葉が俺ではない誰かに言われたような気がして、落ち着かなかったのが、本心だ。 「じゃ、行っか」 俺の数歩前を歩くの頭には相変わらずあの簪があった。気合を入れたのか他にも簪をさしていたが、その一本だけになぜか俺は目を奪われる。 「…おう」 用意周到なことに、下駄まで用意してきていたは俺の足のサイズを知っているのかと思えるほどピッタリサイズなものを用意してきていた。その事実がますます俺をぞっとさせる。冗談ではない。 けれどもこういった浴衣に合わせる履物なんて持っていない俺はこれを履かざるを得ない。 カランカランと涼しげな足音で相変わらずは俺の数歩前を歩く。 空気は多少ひんやりしたものの、肌にまとわり付くような夏独特の感覚だけは消えてはいなかった。 花火を目的とした、俺とのような男と女が河川敷に近づけば近づくほど多くなってきている。 本当に物好きだなと俺は内心呟いた。 そうして待ち合わせ場所にしていた近くの神社で志村一家と神楽を見つけそこから連なって河川敷へと向かった。 河川敷の近くの小道には屋台が立ち並び、それはもうぞっとするような人人人人だらけ。 眩暈が起こりそうだった。 そんな風景が珍しいのか神楽はあれがほしい、あれがやりたい、どれが食べたいだのと始終騒ぎっぱなしでそのたびに俺の浴衣を引っ張るが俺がそれをよしとしないので結局はお妙やにすがり両手一杯に食べ物やら飲み物やらを抱えこむ始末になった。屋台が並ぶ街道をのんびりとした足取りで進む。あちらからこちらから一体どこからやってきたんだというぐらいの人が押し寄せてくるもので、下手したらこれは迷子になりかねない。そう思っていたが、がやがや騒ぎながらではあるが他の三人はきちんと俺の後ろを歩いてきていた。 「つか花火どこであげんの?」 そう後ろを振り返った時、後ろにいたはずの新八や神楽、お妙との姿がふっと消えてしまった。 足を止めきょろきょろとあたりを見回してもそれらしい人影は見えない。 絶対にはぐれないと思っていた当の本人がこの様ではどうしようもない。 さて、どうしたものか。止めていた足を人の波に逆らわぬようゆっくりと進め、そうしている内に、夜空に大輪の花が咲いた。 その場にいた人が一斉に空を見上げ、感嘆の声を上げていた。 音の方角から察するに打ち上げ場所はここから近い。 続いて、別の花火が夜空を艶やかに着飾った。 思えば花火なんてここ何年も見ていないものだ。改めてみてみれば、確かに夏の風物詩と呼ばれるに値するものだと、俺はぼんやりと考えた。 そして俺は視線をふっと流れる一本の川へと向けた。 もう少し行った先に小高い丘がある。そこならばもしかしたらもっとはっきりと綺麗に見えるかもしれない。 そう思った俺の足がそこへ向けて歩き出そうとした時、 「銀さん!」 そう背後から声がかかった。 呼ばれて背中を振り向けばそこにはの姿があって、彼女の手にはどこで買ってきたのか綿雨が握られていた。 「よかった、はぐれちゃったのかと思った」 そう言って胸を撫で下ろし安堵する。 「他のやつらは?」 「今、金魚すくいに夢中になってるよ」 「…まじでか」 これ以上生き物を飼うつもりがなかった俺は、苦虫を噛み潰した顔になった。 もし持って帰ってきたら、それは志村家で引き取ってもらうことにしよう。そうだそうしよう。 「銀さんいなくなったから、探しにきたら案外近くにいてよかった」 そうして再度ドンと体の芯までを揺らす豪快な音が鳴り響き、そうしてきらきらと光った。 綿雨を握りしめながらは目を細め夜空を見上げる。 俺はさっきまで自分がしようとしていた行動を思い出し、を一瞥すると 「行きたいとこ、あんだけど一緒行く?」 そう聞けばは二言返事で了承した。 今度ははぐれないよう、歩幅を気をつけながら後ろを歩くを確認しながら進む。 歩きながらも花火は上がる。もで自分がはぐれないよう気を使いながらしかし夜空を見上げながら、なんとも器用に歩く。 お目当ての小高い丘には俺と同じ考えを持った人間が数人居たが特に気にはならなかった。 ちょうど花火が打ち上げられたときにその場にいたは「すごい!」と声を上げた。 俺が思ったとおり、ここからだと下の河川敷で見ているよりは綺麗に見える。 「銀さんすごい!」 そう言っては今までにないぐらいはしゃいで、瞳をキラキラと輝かせる。 俺はそんなにかけてやる言葉が見つからなくて、食べる気配が一向になかった綿雨を奪い取りその場にしゃがみこんだ。 「あったりめーよ」 そう言って口にした綿雨はじわりと甘みを帯びて口の中ですぐに溶けた。 俺に習ったも隣に腰を下ろすと膝を抱えるように座った。 「てか綿雨」 「あーあと一歩惜しかったな。これもう俺が口つけたからー銀さんのもんです」 「…まだ私一口も口にしてないんだけど…」 「そりゃ残念」 少しだけ眉間に皺を寄せただったが次に響いた花火にすぐに気を取られ忙しなく動く。 その隙に俺は綿雨を平らげ、裸になった棒だけをに返してやった。 しぶしぶといった感じで寂しい姿になった綿雨を見つめ、ごみもちゃんと自分で処分してくださいと、丁寧に返された。手持ち無沙汰になってしまった俺は両手でとりあえずその棒をいじっていたが、いつしか飽きてそのまま地面へ知らないふりをしておいていくことにした。 相変わらず派手な音を立てて花火はあがる。 上がるたびにの瞳の中にキラキラと火花が反射する。 まるで花火を始めてみるような顔つきで夜空を見上げ、時折パチパチと手を叩く。 そんなを視線の端に入れながら俺もぼんやりと空を見上げる。 考えてはいけないことだったんだと思う。 俺が着ているこの浴衣を着ていた人物も、こうしてを隣にして、こうして彼女と2人、花火を見に来ていたのだろうかと。家を出てくる時に味わったあの複雑な感覚が蘇ってきてしまった。 俺は人知れず眉根を潜める。 金色に輝く光が空を舞う。 別ににどんな過去があって過去にどんな男と付き合ってきて、どんな恋愛をしてきただとか、俺には関係ないことだし、特に気にするような事でもないことは分かっているのだ。 けれど、なんだこの胸に渦巻く靄は。 正体はなんとなく分かっているから性質が悪い。 知らない男の浴衣を着て、知らない男の下駄を履いて、俺が知っているの隣に、俺がいるこの状況がひどく滑稽に思えてきた。 そいつはこの後どうしたんだろう。どれだけ深い仲だったんだろう。 彼女の全てを知っているといえるほど、深い間柄だったのだろうか。 考え出したらキリが無い。 そう思って俺は一旦その思考を振り切るよう下を向いた。 その時、不意に視界に入ったの白い手。 地面に手を付いてバランスを取っているのだろう。 切りそろえられた爪には薄いピンクの装飾が施されていた。 魔が差した。 とでも表現したらいいんだろうか。 思考を振り切るどころか、どんどんと自分の想像だけが大きくなって収集がつかなくなってきていたからだろうか。何を思ったのか俺の右手はゆっくりとその進路を彼女の左手へと向けていた。 少しだけ、指先が触れた。 けれどもは目の前の花火に夢中なのか特に何の反応もなかった。 ごくりと喉がなる。 そうしてついに俺の右手はの左手を捕まえた。 触れた手のひらからの体温が伝わる。 さすがにも気配を察知したのか、視線を自分の左手へと落とす。それとは反対に俺は、首を伸ばして空を見上げる。ゆっくりと指先をの指先の間に滑り込ませ、少しだけ力を込めた。 視線を落としていたがゆっくりと、その瞳に困惑の色を浮かべながら俺を見るのが分かった。 「、銀さん、」 そう小さく呟いたの声と、本日一番大きな花火の音が重なったが俺にはきちんと聞こえていた。 「柳だ」 ぱらぱらと放射線状に落ちていく金色の火花を見つめながらそう呟くとは、すぐに空へと視線を向ける。 キラキラと光りながら、ゆっくりと火の粉が落ちる。 「花火っつったら柳だろ、柳」 眼前に広がる残り火をよそに、もう一度同じ種類の花火が打ち上げられそれに続けと言わんばかりに艶やかな色彩が夜空に広がる。 「…うん、そうだね」 そう呟いたが、少しだけ左手に力を込めて、手を握り返してくれただなんて思えたのは、きっとその花火が盛大で豪華で、そして綺麗だったからだ。 082108 |