それから席に戻りひたすらにと話し込んでテレビを見ているうちに16時近くに神楽が戻ってきた。 あいつはに懐いているから今日はと飯だと言えばうれしそうに笑って見せた。 調子を開始した俺を見ても手伝うと隣に立つ。 こんなの、以前にもあったのにな。 さっき口にしてしまったことが原因で妙に緊張するのか、それはわからない。 ただこうしてみるとは意外に小さいのだ。身長も手も、足も、口も、耳も。そして白い。 あの炎天下の中を歩いているというのに彼女はいつでも変わらぬ白さだった。 それすらも、愛しいと、自分以外の人間にこんな感情を抱くことになるとは。俺もヤキが回った… ストンと切れる包丁がやけに耳についた。 食卓にならんだのはが望んだ通りのものと、あとは彼女が買い込んだ酒の缶。 お疲れ様の一言で乾杯し、賑やかに食卓は進む。 なにを間違ったのか神楽にも少量の酒を飲ませたのか(俺はやめとけと止めたんだ)途中から神楽の様子が変わり、さんざん騒いだあと、静かに眠りに落ちた。神楽が眠りに入ったのを見届け、その場の後片付けを開始し、ふとの姿がないことがわかった。 出していた水道を止め「?」そう彼女の名前を呼ぶと、ひょっこりと俺の寝室から顔を出す。 なにをしているのかと思えば、どうやら布団を引いていたらしい。 待て待て、どういうつもりだ。そう妙にドキドキする胸を押さえつけながらの作業を見守る。 「もう寝るでしょ?」 そうシーツをかぶせる手を止めることなくは呟いた。 背中にある時計を見れば時間が過ぎるのは早いもので、もう日付が変わってしまっていた。 「片付け、済んだら」 この時間までがいたことがなかったから、俺はぼんやりとある疑問にぶち当たった。 「つか、帰り大丈夫なの?」 「ん?」 「電車、あんの?」 胸が痛い。 なんだこれは。 「ないよ。さっき最終行っちゃった。タクシーで帰るしかないな」 「…泊まってけば?」 面倒じゃん、色々。 そう口早に付け足した俺の焦り具合といったら、昔の俺が見たら大笑いだ。 布団のしたくが終わったのかはこちらを振り向いて、「いいの?」そう呟いた。 それを聞いて、俺は一歩の近くへ踏み出した。 悪いことなんて、何もない。けれど俺にとっていいことも何もない。 立ち膝をついて作業をしていた彼女と視線を合わせるよう、俺もその場にしゃがみこむ。 小ざかしいことを考えた。 「…いいけど、俺の質問に答えてくれる?」 酔った勢い。そう理由付けができる。 酒が入った所為か、の目もトロンとしてきている。眠いのは俺じゃなくて、きっとだ。 向き直り、正座をすると小首をかしげて「なに?」と聞いた。 ごくりとひとつ唾を飲む。かつてない緊張が俺を包む。酔いは覚めた。 「さぁ、婚約者いるって本当?」 そう俺の声が空気を震わせた時、見たこともないぐらい、の瞳が大きくなって顔が強張ったのがわかった。その反応だけでその話が事実だということがわかってしまった。 けれど、聞かなければよかったとは思わなかった。むしろすっきりしたぐらいだ。 は視線をそらすことも無く、目を伏せてゆっくりと足を崩す。俺もその場に座り込んでをじっと見つめた。 「…この間、会った人、見たことあると思ってたら、入国管理の人だったんだよね」 その人から聞いたんでしょう?の瞳には諦めの色すらみえた。 この間会った人というのはどうやら長谷川さんの事らしい。スーパーですれ違ったときの様子がおかしかったのは俺ではなく長谷川さんがいたからだったのか、と胸を撫で下ろす。 「おぉ」 「やっぱりなぁ」 緊張していたのか背筋がピンと伸びたの肩がゆっくりと下がる。 「確かに、そういう話はあったけど、もうなくなったよ」 「なんで?」 「…質問は一つじゃないの?」 言いたくない。そうの瞳は言った。 だから俺はそれ以上、その男についての質問は諦めた。聞いたところで、こいつは色々あったとまとめてしまうに決まっているからだ。 「じゃ、これは質問じゃないけど、俺が確認したいことがあと一つある」 「なぁに?」 ゆっくりとの手に自らの手を重ねる。 あのときよりも熱い体温。 やはり動じない。 「こうされんの、嫌じゃねぇの?」 言って指の間に指を絡める。 「、銀さん?」 ぎゅうっと握る手に力を込める。 「何も言わねぇんなら、嫌じゃないってことになるけど、」 空いたもう片方の手をの肩へを乗せる。 ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、繋いだ手が振り解かれたが、すぐに捕まえて床に縫い付けた。 肩に回した手をそのままの腰へと回し、顔をぐっと近づける。 さっきと同じように目を見開いて、焦るの息が鼻にかかる。酒の匂いがする。 そのまま彼女の腰を引き寄せて、一度、触れるだけ唇を合わせた。 「、っ」 こんなことをしたからといって、物事がうまく運ぶとは思わない。むしろ悪化するだろう。そう頭の中で考えたが動き出した理性は止まらない。 「嫌、じゃねぇのかって聞いてんだ、」 「銀さ、っ!」 初めから答えなんて求めていない。聞きたくない。 が口を開く前、にもう一度唇を合わせる。今度はもう少し長く。 悪戯心も手伝って、そのまま生温い舌を差し出した。歯列を割ってその口腔へ進入する。 角度を変え、の舌を絡め撮る。鼻にかかった切ない声が聞こえた。 繋いだ手が離れて俺はの身体を抱くよう、優しく包み込んで、の手がゆっくりと俺の胸元へ回され、服がひっぱられる感覚があった。 酒の味しかしない。こんなことして何になるかと聞かれたら、きっと何にもなれない。 ただ俺は自分の欲求をぶつけているだけにすぎない。 息を継ぐ暇を与えて、けれどもまたすぐに塞いだ。 その行為はどんどん深さを増す。 そうして俺は人知れず眉根を潜める。 成されるがままだったの生温い舌が自発的に彼女の意思で、拙いながらも絡んできているのだと、そうわかったからだ。理性を保て。この先は、駄目だ。けどやめたく、ない。 「っはぁ、」 顔を離し、唇を離す。 覗き込んだの瞳には生理的に出てくる涙なのか、そうでないのか、わからないが、その類の涙があった。抱いた腰を開放して、両手を彼女の両肩へ置く。 今更になって罪悪感に苛まれた俺はの瞳を見ることができなくなった。 なんと言っていいのか分からず、俯いて何かを言おうとしたけれどうまく言葉にならない。 酔いなんてとっくに覚めた。 「…行動と、言葉が、逆になったかもしんねーけど、」 は何も言わなかった。 「俺は、そういう目での事、見てるってことだから、」 語尾が震えて、笑えてくる。 「だから、そこだけ、しっかり覚えてて欲しい」 支離滅裂もいいところだと心の中で笑った。 けれどもは笑うことも声をあげて泣くことも、俺を殴りつけることもしないで、静かに「うん」と呟いた。 「…皿、途中だから。あと、ここで寝てていいから。布団干したし、俺はソファで寝るし」 そう言って立ち上がり背中を向ける。足が少しだけ震えていた。 「銀さん、」 ふすまに手をかけ、後ろでに閉めようとしたとき、の消え入りそうな声が聞こえた。 俺は振り返ることもなく、その場で立ち止まり続きを待つ。 「明日、一緒に来て欲しいところがあるの」 それがどこなのか、は聞かなかった。いや、聞けなかった。 「…わかった」 ふすまを閉めてと俺の距離を一定に保った。 ため息が出た。脚が震えて、俺は足早にソファへ座り込む。 罪悪感、焦燥感、達成感、そんな一方的な感情がぶわりと湧き上がり両手で顔を覆う。 ぴしゃりと台所で水音が聞こえた。 082208 |