決まって一通の手紙が来たときは土方さんの機嫌はすこぶる良くなった。 おそらく本人はそんな自覚はないのだろうが、私には分かる。 そして決まって一通の手紙がきて土方さんの機嫌がすこぶる良くなると、大抵沖田隊長の機嫌は最大限に悪くなった。 その手紙を今日私は初めて手にした。 真っ白な和紙で作られた封筒に綺麗な文字で沖田総悟様へとはっきり黒い万年筆か何かで書かれており、裏には沖田ミツバと同じインクで刻まれていた。そこで私は気がついた。話でしか聞いたことがない沖田さんのお姉さんからの手紙なのだと。ジャリっと背後で砂を踏む足音が聞こえ、私は背後を振り返る。 そこにはまた私服姿の土方さんの姿があった。トレードマークとも言える煙草は口にくわえたまま、火が灯っていない。 「おはようございます」 「はよーさん」 懐からおもむろにライターを取り出し火を灯す。 「今日は珍しく早起きですね」 「朝一でとっつぁんのとこ行かなきゃなんねーからな、」 そういえば昨日の朝にそんな話をしていた気がした。 「それ俺が持っていくから、悪ィんだが近藤さん起こしてきてくれねぇか?」 それ、と土方さんは言葉と視線を一気に私の左手と右手へ集中させる。どうやら今朝方届いた郵便物の事らしい。私は正直乗り気ではなかったが副長の言うことには逆らえない性質なので「わかりました」そう言って笑顔を作り、両手に持っていた郵便物を土方さんへ手渡した。その時、沖田ミツバさんから届いた手紙を一番上にして渡してしまったのはほとんど無意識の行為。 手紙を受け取った副長の瞳が少しだけ大きく見開かれたのを、見てしまったのも、ほとんど無意識の行為だった。 それから私は言われた通りに局長を起こしに彼の自室へ入り、肩を揺さぶり起こす。こんなこと新妻で無い限りしないことだろうと思っていたから、若干戸惑った。けれど寝起きが良い近藤さんは「ありがとう」と言って気持ちよく起き上がりそのまま洗面台へと向かってしまった。一人取り残された私はここにいるわけにもいかず、局長の後をつけるよう、彼の自室を後にした。 この時間になってくればさすがに他の隊士達も目覚め、一日の行動をし始める。廊下ですれ違う同僚に朝の挨拶を交わしつつそのまま食堂へ向かい少し早めの朝食を食べに行く。 するとそこにはすでに隊服に身を包んだ土方さんの背中があった。 いつも彼にまとわり着いているあの独特の威圧感が見当たらない。どこに忘れてきたんだ、とお盆を持ちながら考え、ふと先ほどの手紙を思い出す。本当は隣に座って食べようかと思ったが、そのまま一番近くの席に座り、土方さんの背中を見ながら食べる事にした。 後から続々と隊士達が食堂へ出入りし、とうとう私は土方さんの背中さえ見えない位置になってしまった。 朝食を済ませ、朝の朝礼、とでも言おうか各隊への役割分担の発表の後、土方さんと近藤さんは連れ立って屯所を後にした。黒塗りの車はいつみても暑そうだった。 うちの大将こと沖田隊長が職務をサボるのはいつもの事で、大抵私が呼びに行くのが常だった。 今日の私たちの仕事はここからかぶき町を抜けた先にある新興住宅街の見回りだった。他の隊士が外へ出て行く中、やはり沖田隊長の姿が見えない。私はため息を一つ吐いて、履いてしまった靴を脱ぎ彼の自室へと向かう。 「隊長」 「あー?」 「時間なんですけど」 「ンだよ、もうそんな時間か…」 いつも土方さんをおちょくる為に着用しているアイマスクを額まで上げると眠そうに目を擦る。 見るともなしに見たテーブルの上には私が今朝方見たあの白い和紙の手紙が置いてあった。 読んだのかその封は切られていて、近くにやはり和紙の、けれども薄く色味を帯びた便箋が2枚無造作に置かれていた。上体を起こし、本当にかったるそうに上着を手に取りすっと私の横を通りすぎる。 土方さんになかったあの独特の威圧感が、沖田隊長には、見え隠れしていた。 それが顕著なものになったのは外回りを開始してから1時間後に私の携帯にかかってきた一本の電話からだった。着信元は土方さんから。仕事用に持ち歩いている携帯はよほどの事が無い限り、鳴ることはなかったので慌てて電話に出ると、とても落ち着いた雰囲気の声の土方さんが、隊長に代わって欲しいと言ってきた。 この時、彼は暢気に茶屋でお茶をすすり、みたらし団子を頬張って居たので、電話には出たくないと首を横に振ったが、私が携帯を押し付けたので渋々といった顔つきで電話に出た。 何を話しているのか分からなかったが、沖田さんがすこし語尾を強くして 分かってらぁ と独特の口調で話したのは私の耳にも届いてしまった。それから二言三言交わし、電話は切れた。 どんな話をしていたのかの詮索はあまり好きではない。 「ほらよ」 言って私の携帯を膝の上に置くと、飲みかけだった緑茶を一気に流し込む。 機嫌がよくない、そう直感的に思った。 「連絡来ないように携帯置いてきたってのに、意味なかったな」 そう困ったように笑い、立ち上がると「、お前ちょっと付き合えよ」そう言って歩き出した。 え、と声を漏らす暇も与えてはくれず、立ち上がりさっさと人ごみの中へ姿を消してしまう。 追いかけなければならない気がして、私も立ち上がり沖田さんの背中を見失わぬよう小走りに背中を追った。 それから外回りをするべき界隈をあっさりと通り抜け、沖田さんは私を外れにあるバッティングセンターへつれていった。 「したことある?」 「ないですよ、初めて来ました」 そーかそーか、 言ってブースの中へ入り、上着を脱ぐと備え付けのバットを握りしめ、ガチャンとお金を入れる。 前方からものすごいスピードで飛んでくる球を見定めバットを振りかざす。 小気味良い音と共に、沖田さんの打った球は前方遠くの空へ舞い上がった。 「すっごい!」 「はは、すげぇだろう」 私は思わず声を上げ、仕切りになっているフェンスにしがみつく。 また球が飛んでくる。 が、今度はタイミングが合わなかったのか、掠めただけに終わったのか先ほどのように飛んではいかなかった。 「ちっくしょ、」 本当に悔しそうに顔を歪めた沖田さんは、この時ばかりは歳相応に見えた。 「も、やったら、どうだっ」 カキン 宙を舞うボールが綺麗な弧を描く。 「仕事仕事で、ストレス溜まってる時にやると、」 「スカっとするぜ!」 カキン またしてもボールは宙高くへ舞い上がる。 どうやらこれが最後の一球だったらしく、沖田さんは上がる息を抑えながら背中越しに私を振り返り、隣のブースを顎で指した。なんだか楽しそうだったので私も足早に隣のブースへ入り、上着を脱いでお金を入れた。 しばらくの間、2人して単純な、けれども意外に疲れるスポーツ的なものを実践し、初挑戦の私は合計で片手の指で足りるぐらいのボールしか宙へ浮き上がらせることはできなかった。 けれども沖田さんが言った通り、仕事仕事で見えないストレスが溜まっていたのか、気分はスカッとしていた。 それから沖田さんはぽつりぽつりと、彼の中にあるモヤモヤしたものを吐き出すように話し出す。 姉上から手紙が届いた、と口にした時、やはり私が手にしたあの和紙の手紙の沖田ミツバさんは隊長のお姉さんだったのかと、心の中で納得がいった。 「近々、結婚するってさ」 「え、」 普通ならばおめでとうございます、と口にするべき所だったが、結婚すると話した沖田さんの表情があまりにも沈痛だった為、私はぐっと言葉を飲み込んだ。 「それは、さみしくなりますね」 苦し紛れに出てきた言葉は、自分でも不思議な言葉の羅列だった。 沖田さんは目を伏せ、笑って「本当だ」と寂しそうに唇を笑みで覆い隠す。 「あのヤローが、生きている内は、まだ望みはあるかと思っちゃいたが、」 沖田さんの言うところの あのヤロー というのはおそらく土方さんのことに違いない。 私はミツバさんと沖田さんと土方さんの間にどのような確執があったのかは分からない。 けれども沖田さんの、この諦めきったような口ぶりからして、彼にとってはとても重大な事が過去にはあったのだろう。なんとなく、そう思い沖田さんの続きを待つ。 「どうやら、それも間に合わなかった」 ふと、疑問点が沸いてくる。 過去に一体どんな確執があったのかは分からないが、あの沖田さんが、土方さんを必要以上に近づけさせないでいる沖田さんにとっては珍しい口ぶりだった。ぼんやりと浮かんできたその疑問は次第に大きくなる。 「まぁ、俺もそこまで空気読めねぇ弟でもないから、姉上の決めた相手にいちゃもんつけねぇけど」 その言い草はまるで、まるで、 「沖田さんは、土方さんとお姉さんが一緒になればいいって、思ってたんですか?」 その時、一瞬だけ沖田さんの世界が止まってしまった。 その後で聞いてはいけない事だった、と馬鹿な私はようやく気がついた。 「…よせよ、あいつを義兄さんだなんて呼びたくねぇよ」 そう言って俯き諦めたように呟いた言葉が、脳裏にこびりついた。 屯所へ戻る間中、沖田さんは何かを考えていたような顔つきだったが、屯所の敷居を跨ぐと同時にいつもの沖田さんへその調子を戻していった。本当に不器用な人なのだ、と私は確信した。 それから夕食が終わり巡回、その他諸々の報告を済ませ各自自室へと戻ってゆく。 隊士達が次々と立ち上がり背を向ける中沖田さんは一人、その場に残っていた。私はそんな2人を見てみぬフリをすることしかできないでした。 それから数時間後、さて寝ようかと思ったとき襖の向こうに人の気配があった。 その気配は確実に私の元へと近づいてきて、そうして襖越しに「」そう私の名前を呼んだのだった。 声のトーンからそれは土方さんだった。 「起きてるか?」 続けていつもよりトーンの低い土方さんがそう呟く。 「はい」 短く返事をすると彼は襖を開けることもなく、その向こう側で「ちょっと手伝ってもらいたいことがある」そう口早に言った。たぶん事務処理だとか書類関係だとかきっとそんなとこだろう、そう思い室内に取り付けた一つの時計を目にした。見ればまだ12時前だ。今日に限ってこんなに疲れて眠くなったのはおそらく沖田さんと行ったバッティングセンターが起因だろう。重い腰を上げ、薄手の羽織を肩にかけながら私は土方さんが開けなかった襖を開く。目を合わせると彼は「寝るとこだったのか、」と聞いてきた。 確かにそれは間違ってはいなかったので私は控えめに「そのつもりだったんですけど」と呟き、その後に「でもまだ大丈夫ですよ」と付け足した。けれども今日に限ってどうしたことか、いつもなら有無を言わさず手伝わせる土方さんが一瞬身じろいだのだ。その違和感を逃すほど私は彼を見てきてはいない。 「いや、いい、明日また頼みにくる」 「でも急ぎじゃないんですか?」 私が土方さんの事務処理の手伝いをする時は大抵明日までに提出だとか本当にギリギリのものばかりが常だったから今回もそうじゃないのかと、私は思っていた。けれどもこうして土方さんを目の前にしてあまりの歯切れの悪さに私が先ほど感じた違和感がどんどんと大きなものになっていく。 「…確かに、急ぎなんだが、」 そして私は、何かを感じとったよう息をついた。 話したのだ。沖田さんが。 沖田さんのお姉さんが近々結婚するという事を、あの人は土方さんに話したのだ。 最後に2人だけが残って一体どんな話をしていたのかまでは分からないが、おそらくそうなのだ。 だからこんなに歯切れが悪く、いつもの覇気がない。 「明日でもまだ間に合うもの」 「聞いたんですか?」 土方さんが言い終える前に、私はその感覚を確信へ変えるために口を開く。 あ?と片方の眉だけを跳ね上げ疑問の色を浮かべる土方さんに私はさらに続ける。 「沖田さんから、お姉さんが結婚するって聞いたんですか?」 言って土方さんは驚いたように目を見開くと、ゆっくりとその視線をそらした。 私はひっそりと眉根を潜め、そうなんだと確信できた。 「…知ってるなら、回りに言いふらしたりすんじゃねぇぞ」 あえて、聞いた とは土方さんは答えなかった。 それがまた私の心をざわつかせる。 どんな確執があったのかまでは分からない。けれどもその類がなんとなく見え隠れしたような錯覚があった。 沖田さんがどうして土方さんを冗談とはいえ、死ねばいいだとかそんな物騒な言葉を投げかけるのか、なんとなく見えた気がした。 おそらく、この人は好きだったんじゃないのか。武州で出会い、道場時代を共に過ごした沖田ミツバという女性をおそらく好いていたのだ。だから歯切れが悪い。だからいつもの調子が、出ていないのだ。 好きな、あるいは土方さんの場合好きだった女性が、結婚すると女の幸せを掴むと知れば確かに何か感じる部分はあるはずだ。その柔らかい素の感情が、隠しきれずに態度の端々に出てきてしまっている。 この人も沖田さんも、なんと不器用な生き方なのだろう。 言いふらすだなんてとんでもない。 そんな事はできない。その結婚という幸せそうな風景の裏側にある2人の葛藤を見てしまえば、私はそれを祝福することもできなくなってしまう。 それに土方さんが一人の女性を好きになりけれども自分の傍に置いておかない理由も私はなんとなく肌で感じ取っている。いつ死ぬか分からない身だと、彼自身がよくよく知っていてまた私も分かっているからだ。 暴かれた土方さんの感情の他にも私にも暴かれた部分がある。 女の身でありながら刀の腕を評価され入隊したこの真選組。そこで見た脆い刃の向こうに見える、土方十四郎という1人の人間。 それ以上の感情があってはならないと自制し今までやりすごしてきた私のこの、女としての心が、初めて暴かれてしまった。 私は1つ息を吐いた。 「言いふらすだなんて、できっこないですよ」 消え入りそうな声に自分でも笑いがこみ上げてくる。 私が隠してきた感情が露わになってはいけないのだ。 これ以上の踏み込みは危険すぎる。 私の役割は今までと変わらなくていい。今まで通りこの人の為に、刀が振るえれば、それで、 土方さんが諦めたように吐いた呼吸が、しんと静まった空間の中にやけの大きく響いた。 例えば、 素直になれたら (何か変わっていましたか?) 090608 |