大きな爆発だった。 目線を配った時に、すぐに通信が繋がった。 「っ、皇女殿下が!」 そう焦り口にした同僚の声に、僕はようやく事の重大さに気がついた。 「そんなことしてても、殿下は目覚めないかもしれないよぉ?」 僕は祈るよう組んでいた手を一度離すと、声のした方向へ視線だけを向けた。 声でそこに誰がいるのかは分かっていた。 「…ロイドさん」 彼はいつもの調子で僕に笑いかけると手にしていたカップをずいと差し出す。 中にはコーヒーが湯気を立てていた。僕はそれを一応手に取るとそのまま口をつけず両手で包み込む。空いていた隣に座り込んだロイドさんが視界の端でカップに口をつけたのが分かった。 「治療は順調なの?」 「…わかりません」 「なんであんなところで爆発なんて起こったの?」 「…わかりません」 「どうして君がいながら、こんなことになったの?」 「……わかりません」 カップを包む両手に力が篭る。 それを見越した様に、ヘラヘラと笑いながらロイドさんは「君はなぁんにも分からないのかぁ」とおどけたよう言って見せた。さらにカップを持つ手に力が篭ったその瞬間、目の前の治療室のドアが音もなく開いた。 僕はすぐに視線を上げて、中から出てくる白衣を身に纏った医師に瞳で訴える。 口元を白いマスクで覆っていた医師は、くぐもった声音で静かに言う。 「ご心配には及びませんよ、枢木卿」 けれどもその一言は僕にとってはとても重い一言だった。 力が入っていた両手から、ゆっくりと力が抜ける。隣ではロイドさんが立ち上がり、医師に向かって「あとは殿下の気力体力次第、ですかねぇ」とその口ぶりには若干の安堵を見せる。 「殿下にもしものことがあれば、僕のところも危うくなるからねぇ」 言ってロイドさんがふっと僕に視線をよこす。 「君も、危なくなるけどねぇ」 僕は眉を潜め、手にしていたカップを椅子の上に置くとそのまま医師が出てきた治療室へ足早に向かった。 そう、まるでロイドさんの言葉から逃げるように、背後で音もなく自動ドアが閉まった。 息が詰まる、そう思ったのはその場所に足を踏み入れてすぐの事だった。 どうしてこんなことになったのか。そうロイドさんに聞かれても僕は何も答えられなかった。 僕が傍にいながら、こんなことになったのかを聞かれた時も僕は何もいえなかった。 腹の底から湧き上がる悔しさで視界が狭まる。 目の前では呼吸器を口元へ、白い腕から伸びる点滴と、額を負傷していたのか白い包帯を身に纏ったが静かに呼吸を刻む。 コーネリア皇女殿下のよう、戦地へ自ら赴くの専任騎士に命じられたのは、ほとんど1年ほど前の事だった。まさか自分が騎士に命じられるとは思っていなかった僕は確かにそのときは驚きもしたが、けれどもそれ以上に嬉しかったのだ。これからはを守るのはこの僕だ、とはっきり分かったから。 でもどうだ。 こんな状況、僕は望んではいなかった。 僕が近くにいながら、こんな風に傷を負わせて、血を流させることなんて僕は望んではいなかった。 ロイドさんの言った、どうしてこんなことになったの、という一言が僕の頭の中でぐるぐると回る。気持ちが悪い。 その感覚から逃げるよう、の頬に触れる。 生きている人間の体温にほとんど近い。 息もある。生きている。 でも、これでは、 「…僕が、騎士になった意味がない、」 ぽつりと独り言のよう呟いたそれはしんと静まった病室に大きく響き渡った。 それからは昏々と眠り続けた。 医師は薬の副作用と、の体力気力の問題だ、と淡々と話した。 戦況は第一線のが退いたことにより要請を受けたコーネリア皇女殿下率いるグラストンナイツがそのほとんどの戦況を把握、今は鎮圧に向かっている。 僕は、と言えば後ろめたさからかなのか、の傍を離れることができなかった。医師と僕以外の人間を立ち入り禁止にしたのはほとんど初めての権力行使だった。 の手を握る。 神様なんてものは遠い昔にその存在を否定したが、今はいて欲しいと願っていた。 本当に都合のいいものだ。僕は。 そう思うと嫌気が差した。 僕が守るべきを僕は守れなかった。それなのに誰も、あのルルーシュでさえこのドアを蹴破って僕を引きずり出そうとしないのは、皇女殿下の騎士という大義名分を僕が背負っているからだ。は、こんな風にした僕すらも守るのだ。 それから本日2回目の栄養点滴をするべく医師がここへやってきて僕は腰を下ろしていた椅子から立ち上がる。その時握り締めていた手を離し、彼女のちょうど腹部に添えてやる。手を離したその瞬間、の指先が微かに動いたのを僕は見逃さなかった。視線だけをそのままの様子を伺うよう、顔を見れば今の今まで何の表情もなかったの眉根が微かに潜められた。 どくり、と心臓が高鳴る。 思わず僕はベッドの手すりに手をついた。 眉間に刻まれた皺は深くなり、その様子を見た医師も僕の背後にやってきて事の経過を見届ける。 そうしてゆっくりとその瞳が息を吹き返していく。手すりを握り締める僕の手には更なる力が篭る。 「、」 完全に開かれた瞳は久しぶりの光を目にしてすぐに細くなった。 けれどもあたりを確認するよう、ゆっくりとではあるが瞬きをし、薄紫色の瞳を左右へ動かす。 「…、」 殿下、と呼ぶ余裕すらなかった。 僕の声に反応したのか、の瞳が僕を捉えた。 そうすると、が微かに微笑んだ。 正直、泣きそうになった。けれどもここはぐっと堪え、震える指先が示した呼吸器を、僕は不慣れな手つきで彼女の口元から引き剥がす。 「、スザ、ク、」 泣きそうになっていた僕が分かったのか、は先ほどよりも深く微笑み、自由の利く左腕を伸ばし僕の頬にその人の体温を宿した掌を添えた。 「だいじょうぶ、だから」 今度ははっきりとした声だった。 添えられた手に自らの手をそっと重ねて、僕はようやく「殿下、」と声の限りを搾り出すことができた。 そんな様子を見かねた医師は、周りに知らせを、とその場を後にする。 「…、僕は、」 切羽詰った僕の声だけが大きく響き渡る。相変わらずは微笑を絶やさない。 許しなのか。と僕は思う。 「、心配かけて、ごめんね、」 言われて僕は握り締める手に力をこめる。 謝るのは僕のほうだ。 あの時、あの場所で僕がの近くから離れていなければ、こうなっていたのは僕だったんだ。そちらのほうが僕にとっては数倍、数百倍納得がいく結果なのだ。 「けど、、僕は、」 君を、そう口にした時、は僕の言葉をさえぎるよう、ゆっくりとその唇を動かす。 「…我が騎士、枢木スザク、」 薄紫色の瞳が僕を捉えて離さない。 「・ヴィ・ブリタリアの名において、あなたの犯した過ちの全てを、許す、」 今度は僕が瞳を瞑る。か細い、けれども力強い、いつものの声音が室内に響く。 「そして、これからも、我が騎士とし、更なる活躍を、期待する、」 息を吐いた。 たとえが僕を許したからといって、僕が僕自身を許せるのかどうかと聞かれたら、それはできないことなのだろう。の許しを得たからといって僕の悔しさが拭えるわけではない。 けれども、胸に刻み込もう。 このの許しを。 そしてこの僕を、それでも必要としてくれるの傍にいれるよう、強くあろう。 「…イエス・ユア・ハイネス、」 僕は今日という日を、一生忘れはしない。 強く射止めた先の瞳が満足げに微笑む、滲んだ視界の今日という許しの日を。 Lacrymosa (涙の日) |