「殿下」 そう呼ぶとはつまらなさそうに足を組み、目にしていた本から目を離した。 「ラシュディ卿がお見えになっています」 跪いたままにそう伝えてもの声音は、まさにつまらない、そう言っているのと同じ低いトーンだった。 「…具合が悪いと伝えて」 僕は落としていた視線をふっと上げて、「しかし殿下」そう口にした。 けれども彼女は、は僕が全ての言葉を言い切る前に「具合が悪いの、今日は誰とも会いたくない」 そうやや強めの口調で言い切った。僕はドアの向こうにいる使用人に今の台詞が聞こえたのではないのか、とハラハラしたが、その場は瞳を細めるだけに終わった。 一息つくと、僕は踵を返し無言のままに背を向ける。そしてその重たい扉を開けてゆっくりと後ろ手に閉める。外で待機していた使用人には首を振るだけで事を伝えると、彼女は困ったように息を吐いて僕と同じよう諦めた顔つきになった。 ゆっくりと重たい足取りで戻ってゆく使用人を見届け、僕はまた後ろ手に重たい扉を開く。 さっきまで目にしていたはずの本は床に落ちていた。 当のは、と探してみると部屋に備え付けのベッドの上に丸く蹲っていた。 白いシーツを頭からすっぽりとかぶってしまっている。僕はその様子が分かったのでゆっくりと足音をわざと立てながら近づく。動く気配はない。僕なんて怖くないとでも、言いたげな雰囲気だった。 「…」 「うるさい、聞きたくない」 久しぶりに彼女の本来の名前を口にした、とその時僕は若干の違和感を覚えた。 けれどもその違和感を全身で味わう前に、ぴしゃりと言い放たれた不機嫌極まりないの声が耳に刺さった。 こんなのは子供が駄々をこねるときと同じだと僕は心の中で思った。 思ったが口にしない。したらもっとへそを曲げるに決まっているからだ。 「もうたくさんよ」 声が震えていたと思ったのは錯覚なのだろうか。 「もう、たくさん」 そう2度呟いて、ようやくが自ら頭からかぶっていたシーツを払い、その顔を出した。 少し瞳が赤いと思ったのも僕の錯覚なのだろうか。 バツが悪いのか、はすぐに視線を外してしまう。僕はただただ無言のままにその光景を見つめていた。 今年になってからの周りでは彼女の騎士の座を巡り、妙な争いが起きていた。 先ほどここを尋ねたラシュディ卿も、彼女の専任騎士の候補になっている貴族の1人だ。 僕は、というと彼女の従姉妹関係にあたるルルーシュと長い付き合いがあり、その延長線上にがいた。本来ならば皇女であるの傍にいられるわけのない僕が、の傍にいれたのか、それはおそらくルルーシュの計らいでもあったのだろう。それが僕にとってはこれ以上、望んでもないことだった。 昔からの付き合い。それは僕がまだ日本人であって、名誉ブリタニア人でもブリタニア軍に所属する前からの長い長い付き合い。早くに母を亡くしたルルーシュと同様、の両親も歳の離れた兄上も早くに戦争という惨劇に巻き込まれ亡くなってしまっていた。その時の後遺症で彼女は左手に今も不自由が残る。 騎士とは、ナイトメアフレームのパイロットであることがそのほとんどだ。 それはにとって戦争幇助の意味合いを持って、彼女の家族を葬った悪行をしているだけに過ぎない存在でしかなかった。数年前には皇位継承権だなんていらない、とブリタニア皇族としての血筋すらも捨てようとしたが、腹違いの兄弟達によってそれは阻止されてしまったようだった。最も、僕がその話を聞いたのはほんの数ヶ月前のことだったが。 「専任騎士だなんて、そんなものは」 私には必要のないもの。 そうは力なく言った。 「あの人たちが欲しいのは、ブリタニア皇族の騎士となったことに対する地位と名誉」 貴族たちの道具に成り下がるだなんて、そんなものにはなりたくない。 僕は黙ってその話を聞いていた。 正直、耳をふさいでしまいたかった。 彼女のそれは、他の誰よりも重く、そして痛烈だったからだ。 「僕はそんなものはいらない」 そう口にした瞬間、の漆黒の瞳が僕を捉える。 「地位だとか名誉だなんていらないよ」 の表情が、あからさまに険しくなっていく。 これ以上の踏み込みは危険なのかもしれない。けれども僕は止まることを知らなかった。 常にを見てきている僕にとってみれば、彼女の近くにいることがほとんどの日常であり、不変なき事実であり、そしてそれこそが僕がここにいる存在理由でもあった。 「ただ、を傍で守れるなら、僕はそれだけでいい。騎士の特権なんていらないよ」 黙って! ほとんど金切り声に近い叫びだった。 知っていた。僕が彼女の、の騎士になれないことぐらい。 地位と名誉が渦巻くこの閉鎖的な階級社会で、僕にその資格がないことぐらい分かっていた。 僕が知っている事をが知らないはずがない。その証拠に彼女は叫んだ後、顔を伏せ不自由の残る左手で白いシーツを力いっぱいに握りしめていた。 しゃくりあげるよう息を吸って、ぽたりと彼女の瞳から一滴の涙が白いシーツに滲んだ。 「、どうして、スザク、」 なんて残酷な事を口にしたのだろう。 なんて残酷な真実なのだろう。 「…ごめん」 そう言って、彼女を抱きしめれば強く抱きしめただけの悔しさがこみ上げてくる。 どうして僕はこの人の傍にいられないのだろう。守るという大義名分は随分前からあるのに。 「本当に、ごめん」 背中に回った、の爪が深く、僕を咎める様、僕の心を抉るよう、背中に食い込んだ。 (不憫なスザクが大好きだ) |